験かつぎオタクのメガネ男子リン太と、噛み癖のあるずぼら女子のサジ(本名佐藤順子)の大学生2人が日常に潜む怪異と立ち会う。展開の読めない不条理ホラーりんたとさじの感想です。
ホラー漫画のリアリティー
漫画にもいろいろなものがありますが、普段、私が面白いと思う漫画の共通点は、「リアリティー」があるということです。
これは物語の進行や、登場人物の言動に一貫性があるということや、作中世界の世界観や、その場所の様子が、しっかり描写されているかという意味での「リアリティー」です。これがしっかりしていないと白けてしまいます。
しかし、ホラー漫画の場合、この「リアリティー」というのが難しい問題です。
そもそもホラーと呼ばれるものの多くは、主人公やそれに類する人物が、理不尽に、突然に、狂気的な状況や、非現実的な事件に巻き込まれることがほとんどです。
そこに筋の通った説明なんてないし、幽霊や、妖怪や、謎の怪現象なんかが丁寧に自己紹介をしてくれるわけもありません。
それでは、ホラーにおける「リアリティー」が何なのかということを考えると、白けないで読める事だと思いました。これだけだと禅問答の様ですが、つまり「リアリティー」のある場所がより感性的な部分なのではないかと。
筋が通らないのも、現実と非現実の間で世界観が揺らぐのも、狂気的な状況や、非現実的な事件の只中では当たり前です。
絵で魅せるにしろ、話の展開で興味を引くにしろ、「とにかく話に引き込めば勝ち」。ホラーというジャンルにおける「リアリティー」とは読者の感じる迫真性だと思います。
この漫画は平凡な日常パートから始まります。明るくノリのいいサジの自分語りから始まることも多く、出だしはホラーの印象は全くありません。
背景の景色や、物の質感がしっかりと書き込まれているため、その場所の空気が伝わってくるようで、そういう意味でも馴染みのある日常の風景を感じることが出来ました。
明るくも淡々とした日常の光景が進む中で、少しずつ不自然なものが混ざり始めて、話の流れがおかしくなります。
現実と非現実の距離が近いというべきか、日常と非日常が陸続きというべきか、話の流れがおかしくなったと思ったらもう「何か」が起こっている感じでした。
そのため、途中で白けることもなく話に入っていけました。
正気と狂気の境目は何処?
この漫画では霊や、謎の現象と言った怪異の正体について、すっきりとした説明はありません。しかし、読者の想像を掻き立てる形で何が起きているのかを何となく想像させます。
その上で、話の結末というか、オチが何処に来るのかを読者に読ませません。話の運び方や、漫画的な表現の仕方にも独特のセンスを感じました。
異常な状況の中で、話の行きつく先がわからない緊迫感は、1つのエピソード辺りの短さを感じさせない迫力がありました。
次の2つのエピソードが特にお気に入りです。
「妖精の人」
ごく普通の人間が「妖精」になってしまうというお話。
悪意のある呪いや、理由のあるたたりではなく、ある日突然そうなってしまうというシチュエーションが不条理であると同時に、「妖精」になってしまった本人が自分の置かれた状況を不幸だと認識できていないところが不気味でした。
話の中の伏線で、「妖精」の正体には見当がついていましたが、「妖精」になった人の見えている世界から、「妖精」を見ている人の視点に切り替わった場面では、凄まじい衝撃を受けました。
「鳴く人」
話が二転三転する中で、真相をあれこれと想像させられました。何が正しいのか、何が狂っているのか判断できず、読んでいて段々と不安になってきます。
「炬燵の人」という別のエピソードで、その狂気を見せつけてくれた人が、正気を失った人を介抱する側に回っていたり、正気に見えていた人が妄想に囚われていたり、元気で明るい妊婦さんに見えるものが、歪な狂気の産物だったりと、物の見え方や解釈なんて人それぞれで、そこらにいる人が正気であるという保証も、自分自身が正気であるという保証もありはしないのだという、どこか不穏な気分になりました。
単なる妄想による幻覚ではなく、妄想の反復の影響で、霊の存在感が濃くなっていくという設定もおどろおどろしいです。
林の中で背景の奥の方から歩み寄ってくる霊には、異様な存在感があり、霊のポーズや鳴き声の意味に気付いたときに、記憶やイメージが混ぜこぜになった狂気の産物の生々しさを感じました。
その場所の空気を感じ取れるかのような絵と、明るいヒロインの出す日常の空気と、それらとは全く違う不気味で不条理な非日常の空気の落差が凄かったです。
落差が凄いのに、ストンと落ちるのではなく、気が付いた時には深みにはまっているという感じで、独特の味わい深さがありました。