ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン 1巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)
ゴブリンスレイヤーが「ゴブリンスレイヤー」と呼ばれるようになるまでの物語。
本編と作画担当が変わり、栄田健人先生の作画となりますが、こちらもかなりの迫力です。
『ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン』の感想です。
注意
この記事は、『ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン』だけではなく、『ゴブリンスレイヤー』本編のネタバレも含みます。ご注意ください。
惨劇の夜
ゴブリンスレイヤーの原点である彼の故郷が滅ぼされた惨劇の夜。イヤーワンの物語はここから始まります。
日の落ちた辺境の村を襲撃するゴブリンの群れ。寄ってたかって人々に襲い掛かるゴブリン。血しぶきが飛び散り、生首が掲げられ、1話目からいきなりの残酷描写。何も知らずに読んだ人がいたら、かなりきついのではないでしょうか。
悲鳴が木霊する夜闇の中で、幼いゴブリンスレイヤーを床下に隠し、自らは囮になる彼の姉。
彼女の見せた曇りのない笑顔と、床板を閉じる瞬間に見えた震える手の組み合わせは、幼い弟を気遣い自分の恐怖を押し隠す表現として完璧です。この一場面だけでも彼女の人柄が窺えました。
「姉さんが姉さんでなくなってから3日が過ぎた」、「ここはもう俺の家じゃぁない」。この辺りの表現に、姉や故郷を奪われると同時に、それまで当たり前だと信じていた「日常の風景」や「こうあるべきという現実のイメージ」も砕かれてしまったゴブリンスレイヤーの心境が窺えました。
ゴブリンスレイヤーが逃走の最中に見た牛飼娘の両親は、損壊の酷い亡骸をぶら下げて晒されていて、その様子は凄惨の一言。
『ゴブリンスレイヤー』本編では、牛飼娘の独白で「どうなったのかあたしは知らない」や、「空の棺」といった表現をされていた両親の具体的な描写です。
今回の場面だけでは単なる残酷描写の一環ですが、本編の牛飼娘の様子と、今回のゴブリンスレイヤーの見た光景を比較すると、「2人の見えている世界がズレてしまった」ことに説得力を感じる場面でした。
死体の中で息を殺して死体になりきり、怪しんだゴブリンに蹴られようが、虫が集ろうがそのまま死体のふりをやり切る胆力。ゴブリンが走り寄ってくる状況での咄嗟の投石。槍で刺されても近くにあった草刈り鎌で応戦と、この時点で後のゴブリンスレイヤーの片鱗がありますが、何より、絶体絶命の状況での反応こそが彼らしいです。
死が頭をよぎった瞬間、思い浮かべたのは姉の笑顔。しかし、その光景に縋るのではなく、その光景を怒りに変えて、石で目の前のゴブリンを殴りつけます。
極限状態で最後に出てくるむき出しの感情が「怒り」であることが、実に彼らしいと思うのです。
受付嬢の新人時代
新人時代の受付嬢。いかにも敏腕といった感じの現代の姿とは大分違いますが、職務にふさわしい振る舞いをしようと心がける様子に、後の受付嬢に通じるものを感じます。
仕事の忙しさに慣れず、空回りして振り回される姿には同情してしまいました。
ただ、カウンターの中で笑顔の練習をしている所を冒険者登録に来たゴブリンスレイヤーに見られて、引きつった笑顔のまま赤面し、固まりつつもピクピクと震える1コマには同情よりも先に可笑しさが来て、笑ってしまいました。
初めてのゴブリン退治
冒険者登録をし、装備を購入し、初めてのゴブリン退治に挑むゴブリンスレイヤー。惨劇の夜から実に5年の月日が流れています。
まずはゴブリンを観察しますが、草の隙間から覗く兜の面貌の1コマが、何だかシュールで笑ってしまいました。
ゴブリンの巣の規模や、初めてのクエストで上位種であるシャーマンとホブがそろっている巣を引いてしまった運のなさに加え、横穴を見逃し背後から奇襲を受ける、閉所で長い剣を振り回して引っ掛ける等のミスの内容は、本編1話で全滅した女神官参加の新人パーティーを彷彿とさせます。
新人冒険者が全滅に至るよくある事例ということでもあるのでしょう。
決定的な違いは、ゴブリンスレイヤーがゴブリンを侮っていないこと。装備や水薬などの準備をしっかりとしていたこと。
そして、ゴブリンスレイヤーが単独でクエストに挑んだことでしょうか。
ゴブリンのことを侮り、油断しきっていた本編の新人パーティーが全滅に至ったのは、納得のいく結末でした。
しかし、役割分担のバランスの良い4人組のパーティーがあっさり全滅した規模の巣を単独で滅ぼして、自身も生還するゴブリンスレイヤーにも凄まじいものを感じます。
いきなり剣を投げつけて強敵であるホブゴブリンを一撃で戦闘不能にした機転。
毒を受けた後で、毒消しの水薬の瓶が割れてしまっていることに気が付き、ポーチごと絞って毒消しを啜る場面での諦めの悪さと裏表の不屈さ。
初見でゴブリンシャーマンの≪雷矢(サンダーボルト)≫に対応し、電気ショックで復活したホブゴブリンに背後から抑え込まれて尚そこから持ち直す対応力。
経験を積んで「対ゴブリン戦」のプロフェッショナルになった本編のゴブリンスレイヤーではなく、この時点での彼はまだ新人であるにもかかわらず、泥臭くも鋭い、後の彼にも通じる生々しい凄みがありました。
自分の胸の奥で燃え続ける感情を動力とし、決して思考を止めず、動き続けて生き延びる姿は、単なる根性論とも、全てが計算づくの頭脳戦とも違った魅力があります。
この頃の牛飼娘
ゴブリン退治を始めた頃のゴブリンスレイヤーや、新人時代の受付嬢に比べ、未来の姿と一番印象が違ったのが牛飼娘。
惨劇の夜から5年。突然故郷と家族を失った彼女は、伯父の牧場に引き取られたものの、俯きがちで、伯父さんとも距離があります。
ただ後の彼女に通じるものが何もなかったわけでもありません。
本編での牛飼娘は、明るくいつも自然体で快活な様で、それが「そう在ろう」と意図して振る舞っていることがわかる描写もありました。
ゴブリンロードの率いる群れが牧場を襲撃するエピソードでは、一度すべてを失った彼女にとっての最後の心の支えが、ゴブリンスレイヤーの存在である事も見受けられました。
彼女は単純に強い・弱いと評することが難しいキャラクターですが、後の彼女の弱い部分に通じるのが俯いて、塞ぎ込んでいる姿なら、強い部分に通じるのがゴブリンスレイヤーとの再会時の姿です。
兜で顔が隠れた状態であるにもかかわらず、直感でその正体に気が付き、声をかけるのですが、問題はその後。
彼の生存と再会を喜び、笑顔で話しかける彼女に、無言・無反応という反応を返した後、いきなり「ゴブリンを退治してきた」と言う彼の異様な様子に言葉が詰まるも、その場で待つように叫び、彼の下宿の許可を取るために、伯父の下に走り出します。
「たがが外れた」復讐者になったゴブリンスレイヤーの姿を見せつけられても、そこで止まらなかったのが、後の彼女の強い部分に通じると思うのです。
本編ではゴブリンスレイヤーとごく自然(に見える)な距離感で接している彼女ですが、そこまでの道筋がどのように描かれるのかがとても楽しみです。
初めてのゴブリン退治を終えても満たされることが無いゴブリンスレイヤーの空虚な胸中と、広く美しい夜空の対比は、とても綺麗な構図にまとまっていました。
本編の黒瀬先生によるコミカライズがばっちりとはまっていたからこそ、外伝の作画担当が変わることに不安もありましたが、栄田先生のコミカライズも画力、表現力ともに満足の完成度です。
漫画ならではの演出や表現方法で、しっかりと魅せてくれました。