ゴブリンスレイヤー 7巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)
ゴブリンスレイヤーと収穫祭デートの約束を取り付けた受付嬢。わずかに出遅れた牛飼娘。街でもお祭りに向けた動きが見られる中、平常運転のゴブリンスレイヤー。ゴブリンスレイヤー7巻の感想です。
牛飼娘が尊い
帰路に就くゴブリンスレイヤーに声をかけ、共に帰る牛飼娘。『ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン』を読んだ後だと、彼女の笑顔が一層と尊いものに思えます。
お祭りの話を切り出すも、「俺も誘われた」というゴブリンスレイヤーの返しに激しく動揺。普段動じない牛飼娘には珍しい反応です。
何とか笑顔を張り付けるも、少しぎこちなくなってしまう牛飼娘。勇気を振り絞って誘おうとしたら、完全に想定外の方向から出鼻をくじかれてしまったがゆえの反応だと考えると、これもまた尊いです。
絞りだした「午前あたしにちょうだいって言っても、良いかな?」のセリフに、直後の「…ダメだよね」のコマの少しだけ力の抜けた笑顔、ゴブリンスレイヤーにOKを貰った後の喜びぶりと本当に何から何まで尊いです。
お祭り前:自分のターンが来ない剣の乙女
お祭りに行けなくて寝所で拗ねる剣の乙女。かわいい。
冒頭の普通に寝そべっているように見える場面から、ページをまたいで、拗ねていることが発覚。世話係の人のお小言や宥めすかしも、合いの手みたいで面白かったです。
演出がどうとか、見せ方がどうとかの話の前に、剣の乙女がかわいすぎますね。以前登場した時の余所行きの振る舞いとのギャップがまた良かったです。
5巻のオマケ小説で、彼女の素の性格が子供っぽいことには触れていましたが、漫画で見ると容姿と中身のギャップでこれまた破壊力が違います。
個人的には枕のふちをあむあむしていたコマが一番好きですね。かわいかったです。
お祭り午前:牛飼娘のターン
祭り当日の朝、着ていく服に悩む牛飼娘に妹(牛飼娘の母)の来ていたドレスを渡す伯父さん。とっさに出た「おとう…おじさんっ!」という牛飼娘の反応や、おじさんの日頃の態度からも、お互いのことを父親や娘のように想い合っていることが窺えますが、双方ともに一歩引いてしまっている距離感がもどかしいです。
お祭りという特別な日のせいか、いつもとは違う装いのせいか、普段よりもゴブリンスレイヤーのことを意識してしまう牛飼娘の様子が素晴らしい。いつもの余裕のある態度と比較するとその心情が窺えます。
人によって程度の差こそあれ、普通に生きていても意識して「自分を演じる」ということはあります。しかし、牛飼娘のそれは徹底していて、ゴブリンスレイヤーと接する上で完璧に最適解を出した上でそれを演じているという印象を持っていました。
「たがが外れてしまった」ゴブリンスレイヤーに寄り添うために試行錯誤の末に完成された態度と距離感。それを完璧に演じる少女。
そんな印象だった牛飼娘の本当の素の部分がぼろぼろとこぼれ出てしまうという事態にニヤニヤしつつ、そんな「隙」を見せられる余裕が出てきたのもゴブリンスレイヤーがいくらか更生してきたからなのかなとも思いました。
中でも最高だったのが、ゴブリンスレイヤーに買ってもらった指輪をつけてもらう場面です。
自分から言い出したにもかかわらず、どの指につけるかの段階で「く…薬指…とか…」とどもり、「(左右)どっちのだ」と聞き返されて「右手で…お願いします」と、どんどんぎこちなくなった末に最後に踏み込み切れずに逃げてしまう乙女心と、その動揺の仕方がかわいかったです。
これまでの幸福ともの悲しさの二律背反然とした趣から、幸せな方に振り切れた彼女の笑顔も素敵でした。
お祭り午後:受付嬢のターン
足音なのか鎧の音なのかはわかりませんが、お祭りの雑踏の中、動作音だけでゴブリンスレイヤーを聴き分ける受付嬢。大道芸の手品に対する僅かな反応に気が付き、ゴブリンスレイヤーが手品に興味がある事にも気が付くなど、この人のゴブリンスレイヤーに対する洞察力も侮れません。
デート中にモノローグで、自分が知っているのは冒険者としてのゴブリンスレイヤーだけであることを気にしている彼女ですが、逆に冒険者としてのゴブリンスレイヤーを一番知っているのも彼女なのではないかと思います。
女神官の様に、彼の現場での姿を見たことはなくとも、彼が救ってきた人の数や、地域全体に与えてきた影響を俯瞰した上で、本人以上に、そのことの重みを一番理解しているのが彼女なのではないでしょうか。
と思って読んでいたら、その辺りのことについてもばっちりと描写されていました。
夜のギルドの職員区域にゴブリンスレイヤーを招き、街を一望できる最上階から、「彼の守ってきたもの」を見せる受付嬢。
さらに、自分とのデートの最中に街の見回りを並行していたゴブリンスレイヤーに気が付いていながら、そのことに怒るのではなく、むしろそのことの重みを噛みしめているのが流石ですね。
私としてはゴブリンスレイヤーに対するヒロインとして、牛飼娘が一番しっくりくるのですが、受付嬢にも幸せになってほしいです。
「だから俺は」「天灯を拵えなかった」
空へ上がる沢山の天灯。それを見上げる人々。舞台で神事の舞を踊る女神官と祭りの盛り上がりも最高潮。天灯は、この街では死者の鎮魂のための行事で、日本での灯篭流しの様な意味があるようです。
ギルドの屋上という特等席からそれを見下ろしながらも、祭りの盛り上がりとは逆の重たい胸の内をこぼすゴブリンスレイヤー。
「いくらやってもどれだけやっても手に入るのは勝算だ。勝算は勝利ではない」と語り、「だから俺は、天灯を拵えなかった」と続けます。
ゴブリンから街と人々を守るために「最善」の行動をとってきたゴブリンスレイヤー。武器や道具を整備し、罠を仕掛け、祭りの最中も街の中を見回っていました。最善を尽くすためにやるべきことに対して時間が足りなかった結果の取捨選択。
死者の魂の存在や、鎮魂の儀式を否定しているわけでもなく、本心で弔いたい気持ちがあっても、その時間でゴブリンへの備えをせざるを得なかった辛さと、重たい心の内がはっきりずっしりと感じられる描き方でした。
弔う対象であろう姉や故郷のことに、今更にあえてはっきりとは言及しない描き方も味があります。
祭りの盛り上がりの最高潮と、その盛り上がりの中心地から少し離れた場所で、天灯を作らなかったことを話すゴブリンスレイヤーの鬱屈とした言葉の重み。
その内面でゴブリンスレイヤーへ伝えたい様々な想いが荒れ狂っていても、踏み込んで想いをぶつける勇気はない受付嬢の穏やかな笑みと、精一杯かつささやかな励まし。
これらの対比にすごく趣がありました。
細かい所ですが、受付嬢の「(ゴブリンスレイヤーが弔いたかった人が)きっと安心して帰ったと思いますよ」へのゴブリンスレイヤーの返しが「そうか」ではなく、「ああ」だったのもこの場面で好きなポイントです。
突然の襲撃と当然の結末
人気のない夜の冒険者ギルドで襲撃を受けるゴブリンスレイヤーと受付嬢。
襲撃者は顔を隠していますが、その体格と言動を考えると、正体は明白です。
奇襲に、毒に、騙し討ち。技量も踏まえると襲撃者の戦い方はゴブリンの上位互換と言えるものですが、上位互換程度では、対ゴブリン戦のプロフェッショナルであるゴブリンスレイヤーにかなうはずもなし。
戦闘自体はすぐに終わりましたが、ゴブリンの上位互換の様な戦い方をする相手に、格の違いを見せつけるゴブリンスレイヤーという見方もできて、ある種の見応えのある場面でした。
この襲撃者は、ゴブリンスレイヤーのことを逆恨みした上に、「雑魚狩り専門・運が良かったから銀等級になれた」と侮り、不当に高い評価を受けていて気に入らないといった様子でした。
ゴブリンスレイヤーのゴブリン退治の過酷さを知らず、そこで積み上げられてきたものを軽視したことが、そのまま襲撃者の敗因となっていて、襲撃の動機が逆恨みである点も含めて、凄く綺麗に因果応報の形になっていています。そのせいか読み終えた直後、妙にすっきりとした気分になりました。
ゴブリンスレイヤーと街の人々。ゴブリンスレイヤーと牛飼娘。ゴブリンスレイヤーと受付嬢。この漫画は人と人のつながりや、かかわりの描き方にとても味があります。
もちろん、原作由来の物語や、キャラクターがあってこそですが、漫画としての人物の見せ方・描写の仕方が凄く好きです。