君が肉になっても (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
ある日突然、人間を襲って食べる肉塊に変身してしまう体になった真希。
真希のことが好きなひな子は、彼女を救うため、それ以外の全てを切り捨てます。
ホラーで重たい物語をほのぼの・のほほんとした絵と、軽めのノリで描く『君が肉になっても』の感想です。
何もかもが理不尽な漫画のキーパーソン:ひな子
この漫画は何もかもが理不尽づくしです。読者の視点でも、物語の主人公である2人の視点でもです。
人食いの怪物になってしまう真希の体質や、突っ込みどころを満載したひな子の性格についても、理不尽ホラー・理不尽ギャグだからと言わんばかりに説明がぶん投げられています。
真希と同じような怪物が溢れて人間社会が崩壊していくことも理不尽ですし、食べられるもの(主にひな子以外の人間)がいなくなり、真希の余命が幾ばくもなくなってしまう展開も理不尽です。
そんな漫画で、何が一番理不尽かと言えば、やはり主人公であるひな子のキャラクターでしょう。
怪物になり、人間を襲って食べてしまった真希。人を食べてしまった彼女の話を聞き終えたひな子の疑問は「味は?」でした。
人間の味がどんな味か、グイグイ来ます。「私、肉好きだし。機会があれば一度食べてみたい」とのこと。
落ち込む真希を励ますための冗談かと思いきや、物語が進んでも彼女は終始こんな感じです。
しかし、ひな子のこの性格があるからこそ、この漫画の独特の読み心地が成立するのだと思います。
ひな子を中心に滲み出るコミカルかつ突っ込まずにはいられない独特の味のある場面の数々。
これらは、あえて、ひな子の背景などの説明をせずにぶん投げているからこそ、この味わいが出来上がるのだと思います。説明がついたら突っ込みどころにはならないので。
「生まれつき普通の人間とは違いすぎる感性を持っていたが普通の人間を装って生きてきた」だとか、「過去に酷い経験をし過ぎて今さら何が起こっても何とも思わない」だとか、そんないかにもそれらしい背景がない正体不明。「天然」ですませるには怖すぎる感性の持ち主。それがひな子です。
何故そんな調子なのかという真希の問いに、ひな子自身が「さあ?」と言う場面まであるのはいっそ清々しいですね。
ひな子の性格やら感性やらについて、あえて説明や背景描写を丸ごと放棄することで、この漫画に独特の味が出ています。というよりも、ひな子の性格にすっきりした説明がついてしまったら、この漫画は成立しないと思います。
まきとひな子。お互い以外の全てを切り捨てる百合
正直な所、この漫画には、ホラー漫画らしい背筋が凍るような場面もなく、恐怖や不安が伝わってくるような臨場感もそれ程には感じませんでした。
せいぜい、ひな子が真希のための「食料」を用意した場面で、さりげなく犠牲者の人数が増えていることにぞくりとしたぐらいでしょうか。
では、どのような部分が面白かったのかと言えば、1つ目は既に述べた様なひな子を中心に滲み出ている独特の味わいです。
そして、2つ目は、ひな子と真希の関係。その軌跡です。広義の意味では「百合」という言い方も当てはまるでしょうか。
最初は比較的仲の良いグループに属している友達ぐらいの関係。ひな子は真希のことを「わりと暗いヤツだ」と言い、真希はひな子のことを「ちょっと変なやつだ」と言っています。お互い相手のことを憎からず思っていますが、それ以上のものは感じません。
ところが、真希が怪物になっても、ひな子は真希から離れて行ったりはしません。むしろグイグイいきます。一連の事件を通して、真希の可愛さを再確認するひな子。
友人を食べてしまい、自殺しようとした真希を止めると、共通の友人が死んだことよりも「真希がやったかの方が大きかったんだよね。あの瞬間」と自分が思っていた以上に真希を好きだったことに気付きます。
そして、真希が「日常」に戻ることが無理だと悟ったひな子は、2人での逃避行を決行します。
逃避行中も、自殺こそ諦めたものの、緩やかに自らの餓死を望む真希に睡眠薬を飲ませ、「食料」と共に閉じ込めます。自らの手を人の血で染めても、無理やりに「食事」をさせてでも、真希を生かそうとします。
そんな極限状態でのひな子の献身によって、真希も生きる意志を取り戻します。
お互いがいるから生きていける。相手がいなくなったら、生きられない。
自分たちの善性や道徳観もかなぐり捨てて、大切な1人のためならそれ以外の何もかも切り捨ててしまう程、お互いを大切に思うようになります。
2人の関係性とその変化の過程がしっかりと描かれていることが魅力的です。
終末の美・有終の美
日常が崩壊して終わった世界、あるいは、終わりへと向かっている世界で、目的もないのに旅をしたりだとか、終わりが来るまでの間にかつての生活を懐かしんだりだとか、そういうシチュエーションが好きです。
この風情を言い表す適切な言葉が思い浮かびませんが、和製ポストアポカリプスにおける一種の様式美とでも言いましょうか。陰翳礼讃や、終末の美学という言い方も近いかもしれません。※『陰翳礼讃』は熟語ではなく本のタイトルですが。
ただ諦観が極まったからそうするのではなく、最後まで「生きる」ためにそうするという塩梅だとなおいいですね。
この漫画の最終回はまさにそんな感じでした。
「食料」がなくなり、体力が衰えて、真希が自力で歩くことも難しくなった頃、2人は自分たちの暮らした街へ戻ってきます。さらに、思い付きで学校へ行くことに。
2人とも自分の死は受け入れています。それでも最後まで頑張って生きます。
桜が満開の春の校舎に、2人だけというのも味がありますね。日常と非日常の競演。
かつて当たり前の日常を過ごした場所に、非日常が日常になった後に改めて来るという構図。
生命の踊る季節でも2人の他に人影はなし。光と影のコントラストの様な、何処か閑寂とした、だからこそ惹かれる何かを感じます。
悲壮感も出過ぎては駄目ですし、全くないのも駄目です。
この漫画の最終話は、そういったあれやこれがちょうどいい塩梅でした。
最終話:学校 綺麗なオチ
グラウンドのベンチに生存者を見つけた2人。
それが自分の父親であることに気付くひな子。
そのことを聞いて動揺する真希を教室に残して、ひな子は1人グラウンドへ。
生存者が父親であることを確認したひな子の「ま、そっか」という言葉も、彼女の心で渦巻いているいろいろなものを想像させられます。
そんなうまい話があるわけがないという意味でのものなのか、真希のために罪を重ねてきた自分への罰としてのめぐり合わせだと思ったのか。
真希を生かすために、自分の父親すら手にかけたひな子。近くで見たら別人だったとバレバレの嘘をつきつつ、内面を悟らせないように笑顔を見せます。
そんなひな子の血まみれの手を取りながら「ありがとう」と言う真希。儚げな2人の後ろ姿が切ないです。
と思ったら、ひな子が最終回の最後の最後でオチを付けてきました。「あ、腕一本もらうね」と。そう言えば、人間の味に興味を持っていましたね。このセリフ、最初は何を言っているのか理解できませんでした。流石です。
最後のコマの一言が、真希を和ませるための冗談ではなかったことも、おまけ漫画で分かります。
嬉しそうに肉を焼くひな子。ひな子の心の内はわかりませんが、そのあまりにノリノリな様子に笑いました。
ホラーかと思えば妙にのほほんとしていて、切なく儚げな様でそれだけでもなく、最後の最後までアンバランスなのにミスマッチでない不思議な魅力の漫画でした。