コミックコーナーのモニュメント

「感想【ネタバレを含みます】」カテゴリーの記事はネタバレありの感想です。 「漫画紹介」カテゴリーの記事は、ネタバレなし、もしくはネタバレを最小限にした漫画を紹介する形のレビューとなっています。

魔法はつづく 感想


魔法はつづく (リイドカフェコミックス)

 

 自然な臨場感のある日常を描写することで、迫真性のある非日常を演出する奇才、オガツカヅオ先生の短編集。『魔法はつづく』の感想です。

 

当たり前の日常が輝くからこそ非日常が際立つ。

 オガツカヅオ先生の漫画は以前、『りんたとさじ』を読んだことがありました。

 

『りんたとさじ』という漫画について知りたい方はこちらの記事をどうぞ。

www.iiisibumi.com

 

 この漫画を読んだ時も思いましたが、オガツカヅオ先生の漫画は、とにかく臨場感が凄いのです。

 いえ、この説明だけだと誤解されるかもしれません。

 漫画を始めとしたフィクション等に対して「臨場感」という言葉を使う場合、多くの人が想像するのは、例えば、戦争や災害の最中の命に係わる緊迫感や、ここ一番の大勝負に挑む人間の緊張感、ハラハラドキドキが伝わってくるような場面を想像する人が多いのではないでしょうか。

 いえ、そういった臨場感も、臨場感に違いないのですが、オガツカヅオ先生の漫画の臨場感は、言葉通りの「現場に臨んでいる様な」、「その場にいるかの様な」という意味での臨場感です。

 上で上げた様な登場人物の緊張感が伝わってくるような臨場感を「動の臨場感」であるとするなら、オガツカヅオ先生の漫画の臨場感は「静の臨場感」です。

 これは登場人物の感情とはあまり関係のない、文字通り「その場所の空気」の様なものです。

 例えば、床板や本棚の木目の質感。床や壁の微細な傷。古びたアパートの階段の塗装の剥げ。記録撮影用のビデオカメラと三脚や、電動ポンプ付きの金魚鉢を置いたサイドテーブルといった少し変わった小物まで、とても細かく描かれ、リアルな質感までもが表現されています。

 そこにアングルの工夫や、丁寧な光の明暗の描写、吹き出しと描き文字、オノマトペと実際的な音の表現を巧みに使い分ける音の表現なども合わさります。

 1つ1つの細かい演出と表現が積み上げられ、まさにその場にいる様な、音や、臭いや、空気の温度までもが伝わってくるような臨場感が完成するのです。

 これは凄い技術だと思います。しかし、これだけでは凄いだけで、面白い漫画にはなりません。

 オガツカヅオ先生の漫画の面白さは、その日常の臨場感から生まれる非日常の迫真性だと思います。

 この漫画の物語はいわゆるホラー漫画の様な、「非現実的」であることが前提のものが多いです。

 だからこそ、臨場感や、迫真性といったものが重要です。

 非現実的なものであるからこそ、ただ語るだけではそこにリアリティーは生まれません。

 その場所にある何気ない日常がリアルに伝わってくるからこそ、それを土台にして、「リアルな空気感のある非現実」という不気味で不思議な迫真性のある漫画が成立するのだと思います。

 

二転三転する物語に引きずり込まれ、振り回される。

 そこまでの物語の流れを一気に覆すようなどんでん返しはもちろん、短編の話の中で何が本当で何が嘘かという情報が二転三転したり、ホラーだと思っていたものが爽やかに終わったり、切ない話だと思っていたものが何処かホラーな終わり方をしたりと、この短編集の漫画は、軌道も、着地点も予想できません。

 下のタイトルは特にお気に入りのエピソードです。

 

かえるのうた

 最初の1コマから、何故かカラオケのマイクに蛙が張り付いています。日常の中に突然の非日常。

 しかし、その意味も、蛙の正体もこの時はまだ分かりません。

 どうやら家出した父親とその恋人に、娘であるユキと、その弟が会っているらしいことだけがわかり、何故かみんなで童謡を合唱。最初は嫌がっていたユキさんも含めみんなノリノリで大合唱。歌っている場面の臨場感が凄かったですね。

 何故か突然テーブルの下に潜り込むユキさん。微妙にかみ合わない会話。何故かどんどんテーブルの下に潜り込みぎゅうぎゅうに詰まっていく面々。

 この平穏な日常の空気が、少しずつ不気味な非日常になっていく感じは、りんたとさじを思い出しました。

 そして、場面は一気に変わり、これまで説明された人間関係から何から全てがひっくり返されます。全ては事故に遭ったユキさんの見ていた夢だったと。

 さらに、どんでん返しに次ぐどんでん返し。

 自分は既に死んでいて、その場にいる人たちに見えていないことに気付いた時のユキさんの絶望感が凄かったです。

 ところが、それも夢で、ユキさんは病室で目を覚まします。ハッピーエンドかと思ったら、最初のカラオケマイクの蛙の様に、病室にもいるはずのない蛙がいました。

 蛙の歌も聞こえてきます。現実から一転して非現実へ。もう何が現実なのかわからない不気味な空気。

 何故か病室に響いているかえるのうたと、小さいのに存在感を放つ最後の1コマの蛙が不気味な余韻を残していました。

 この話は、オガツカヅオ先生の漫画だからこそ成立する話ですね。他の方が描いても、この臨場感と、そこから段々と転じていく独特で不気味な空気を出すのは難しいと思います。

 

こくりまくり

 不気味な扉絵と、色々と意味を深読みしてしまうタイトルに、すっかり騙されました。

 話の構成自体は、どんでん返しの部分も含めて、怪談漫画によくあるパターン。

 ただ、それでもやはり、背景の緻密さや、質感のリアルな表現でクオリティーが一味違いました。

 キラキラかわいい「いけてる女子」と見せかけて、一皮むくと癖が強い小学校時代の木目米さんも、露骨に癖の強い中学校時代の木目米さんも面白かったですね。ラストの笑顔にやられました。

 ただ、これだけではなく、おまけマンガの後日談「こくりまくれ」も込みでお気に入りなのですよね。

 既に成仏したと思っていたのに、自分の死から立ち直れない木目米さんの背中を押すために、彼女の思い出の宝物を持ち去って消えた名倉くん。

 その後、学校の先生になった木目米先生が生徒にしたアドバイス「こくりまくれ」にどんな想いがこもっていたのか。

 名倉くんと木目米さんのことを考えると切ないですが、目力のある木目米先生の力強い「こくりまくれ」の言葉で、読後の余韻は切なさよりも、さわやかさを感じました。

 

魔法はつづく

 冒頭から呪いの儀式。何やら不穏な空気ですが、それはそれとして、もの凄くリアルなヒクイドリに目を奪われました。

 「これ、ヒクイドリだよね?野生のヒクイドリって日本にいたっけ?」とそんなことを考えながら読んでいたら、「なんだ火喰い鳥か」と主人公のえいじ君。「やっぱりヒクイドリか」と物語とは全然関係ない部分で右往左往していました。

 ただ、やはり、野生の火喰い鳥は日本に居ませんね。この鳥も非現実の象徴でしょうか。

 えいじと従姉のじんこ。6歳と11歳で人を呪い殺した2人。何故そんなことをしたのかという動機が少しずつ見えてくるたびに、生々しくて残酷な事実と、そこで生じるだろう感情を想像させられます。

 事前に出てきた話が次々と覆され、覆された後の話も本当に本当なのか疑ってしまいましたが、何が本当か、何が嘘かの判断にいまいち自信がなくなる中で、最後にじんこがぽつりとつぶやいた言葉にだけは、間違いなく本当の感情が詰まっている気がして、もの悲しい気持ちになりました。

 度々挿入される動物たちの表情は、何処かお道化た様で、それでいて不穏なものも一緒に感じる不思議で不気味な空気を作っていました。

 ただの田舎の自然というよりも、どこか異界のような場所の空気を感じた気がしましたね。

 田舎の景色。草木の茂った民家の庭。やたらと多種多様に登場するリアルな生き物たち。縁側の奥から歩いてくる顔に影のかかったえいじの1コマ。えいじの目の中に真実を探すじんこの眼差し。「絵」の好みで言えばこの短編が1番好きでした。

 

 

 たまにわかりづらい話もありますが、オガツカヅオ先生の漫画の独特の雰囲気が好きです。

 その場所の空気が感じられるような緻密で現実的な背景に、段々と、あるいは突然に異質なものが描き込まれることで、現実が非現実につながります。

 読者を振り回す二転三転する物語や、余韻が残る終わり方をする話も好きです。