コミックコーナーのモニュメント

「感想【ネタバレを含みます】」カテゴリーの記事はネタバレありの感想です。 「漫画紹介」カテゴリーの記事は、ネタバレなし、もしくはネタバレを最小限にした漫画を紹介する形のレビューとなっています。

だんドーン1巻 感想


だんドーン(1) (モーニングコミックス)

 

 『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』で社会派のお仕事漫画とハイセンスなコメディーを両立させた泰三子先生の新作です。

 今度は歴史コメディー。泰三子先生のフィルターを通して描かれる幕末の偉人たちに捧腹絶倒まちがいなし。『だんドーン』1巻の感想です。

 

骨太かつ面白おかしい歴史コメディー。

 泰三子先生の漫画はセリフ回しのセンスや、テンポの良さをはじめとしてコメディーとしての面白さが高水準。毎回繰り出されるパワーワードの数々。ギャグの勢いとクオリティーがとにかく凄いです。

 その一方で、歴史漫画としても骨子がしっかりしています。しっかり資料を調べて史実に基づいて書いているというレベルの話ではなく、監修の郷土史家の方がベテラン刑事かというくらいの勢いで調べ上げて、今まで知られていなかったことまで次々と判明しているそうです。

 何より、現代と価値観も、生活様式も違う時代に生きていた人々の心情や、西欧列強の脅威にさらされながらも内輪もめ真っ最中であった日本の状況を、現代人の読者がすんなり理解できるようにまとめられている点。これもさりげなくも凄いことなのではないでしょうか。

 本当にすんなり。すんなりです。

 普通に面白い漫画を読んでいるだけでこの辺りの部分まで感覚的にすんなり入ってくるように漫画を描けるのが凄いと思ってしまいました。説明口調の場面自体はあるにはあるのですが、それすらも解釈が面白すぎて笑えます。

 コメディーセンスと歴史モノとしての重厚さが合わさって繰り出される泰三子先生にしか描けない何かがあります。

 将軍継嗣問題を「おじさん達による推しメン大戦争」と宣うばかりか、百合と薔薇の花が咲き乱れる見開きで繰り出された時は、普段と違う変な笑い声が出てしまいました。

 

歴史上の人物をキャラクターとして成立させる歴史漫画の肝の部分

 実際の歴史上の人物を魅力的なキャラクターとして描くことは歴史漫画の肝の部分だと思います。

 その人物のパブリックイメージにそったものにするにせよ、実際の史実のエピソードから逆算してキャラクターの性格を作るにせよ、実際に会ったこともない人を自分の解釈でキャラクターとして成立させるのはとても責任重大で、大変な工程ではないでしょうか。

 泰三子先生のそれはとても大胆です。

 2話の冒頭で幕末に才能を開花させた人々の例が描かれていました。

 歴史に疎い私が名前を知っていた人は吉田松蔭くらいでしたが、今でいう迷惑系ユーチューバーみたいに見せる漫画演出をしつつも、「必要に迫られてやってみた吉田松陰【公式】」なんて一文を加えてある辺りに、笑いを取りつつも名誉を守る謎にして驚異のバランス感覚を感じました。

 1コマ登場の偉人だけでこれです。主要人物たちはもっと面白かったです。

 

川路正之進(かわじしょうのしん)※後の川路利良(かわじとしよし)

 多才で有能。頭の回転が速く突っ込み役なのだけれど、本人もどこかズレていて、半分計算でもう半分は天然で周囲を振り回す人物。こういうキャラクター大好きです。

 まあ、この漫画の場合、主君の島津斉彬がもっと軽いノリで無茶ぶりするタイプで、相方の西郷吉之助が真っ直ぐすぎる上に不思議な空気までまとっているので、基本的に振り回される側になるわけですが。

 人より目端が利くせいで「いろいろなこと」に気が付いてしまい思考は真っ黒。その一方で人情に篤く善人であるが故にこそ、自分のそういった腹黒い部分がコンプレックス。

 そんな彼と西郷吉之助の出会い、主君との関係性が明かされ、そして主君の言葉で彼のコンプレックスが払拭され、開き直った結果がその主君がびっくりするくらい真っ直ぐに真っ黒だった第1話がとても良かったです。

 面白かったという意味でも、主人公のキャラクターがよくわかったという意味でも素敵な第1話でしたが、特にオチが大好きですね。彼の最大の理解者が想定していた以上の真っ黒さに理解者・島津斉彬との間の認識が食い違う場面。最後の1コマの2人の「え?」「え?」が何とも言えない可笑しさでした。

 2話での主君の政敵側の忍びを懐柔しようとする場面も大好きです。

 相手側との認識のズレが勘違いを題材にしたコントの様ですが、単なる勘違いではなく、川路正之進がヤバイ人であることが間違いではないという事実はさりげなくそれでいて決定的に描かれているというカオス。

 本人が無自覚な部分のヤバ味が最高のスパイスでしたね。

 顔だったり、有能さや特技の方向性だったりにどうしてもハコヅメの源刑事のことがチラつきますが、他者に理解されない天才として、読者目線でもどこか底が知れない感じだった彼と違い、とても内面やキャラクターの癖がわかりやすく描かれています。

 むしろ、川路正之進のキャラクターを通して、源刑事こと源誠二(みなもとせいじ)のキャラクターへの理解が深まった気がするのですが、これは流石に混同しすぎでしょうか。

 

西郷吉之助(さいごうきちのすけ)※後の西郷隆盛

 「純粋でクセ強め」と評された西郷吉之助の人物像。

 単純に純粋だから裏表がないと雑に美化してまとめてしまうのではなく、「自分の思いが伝わらないと強く憤ったり」、「相手の気持ちを察することが苦手だったり」、「冗談と悪口の区別がつかない」、「上下関係を踏まえて人と接するのが苦手」と具体的に藩の役人として浮いていた理由が川路正之進の目線で言及されていたのが良かったですね。

 人物像の解像度が断然違います。リアリティーがあるからこそ伝わる人間的魅力というものがありますからね。

 真っ直ぐな性格で、他人のために怒れる人ですが、思ったことをそのまま言うので割と突っ込みが辛辣。そういう所もコメディー的においしいです。

 一番魅力を感じたのはその目力でしょうか。作中でも言及があった黒目が大きい独特の目元に生じる謎の引力。コマの中に西郷吉之助の顔があると自然にその目元に視線が引き付けられます。

 その大きな黒目でじっと何かを見つめているだけでも面白いです。

 さらには視線で突っ込みを入れたり、朗らかな笑みを浮かべているコマに謎の神々しさが発生したりと、この漫画を語るうえで西郷吉之助の目は外せない要素だと思っています。

 

島津斉彬(しまづなりあきら)

 主人公たちの主君で、部下のいい所を見出し采配したり、長所を伸ばして育てたりもできるとてもいい上司。さらにはとても民想い。

 そんな人間的魅力あふれる人のはずなのですが、漫画演出上のインパクトが強すぎて完全にそっちのイメージで記憶に焼き付いてしまいました。

 一ツ橋派も南紀派も「天皇を中心に豊かな国を作って異国と対等に渡り合えるようにしたいんだよ」という話をしている場面で、しかめっ面でこちらを睨む南紀派に対して、全員両手でピースしている一ツ橋派。そのセンターでノリノリな島津斉彬。笑いました。

 背景の2人、徳川斉昭(とくがわなりあき)と松平春嶽(まつだいらしゅんがく)も含めたノリノリ過ぎる構図のバランス。

 歴史上の偉人に感じる重厚なイメージと、ノリの軽すぎるポージング。そのギャップに脳の情緒をつかさどる部位がおかしくなりました。

 人がピースしているだけの絵でこんなに笑ったのは初めてです。

 南紀派と一ツ橋派の対立と政治スタンスの違いについて説明する大事な場面で、漫画としても面白かったのですが、面白すぎました。

 今後、他の媒体で島津斉彬の名前を目にしても真っ先に「一ツ橋派のセンターでダブルピースしていた人」というイメージがわきそうです。そのくらいのインパクトがありました。

 

モザイク・ビタミンB1・肝練り

 他にも面白いところがいろいろありましたね。まだ1巻だというのに語りたい所が多すぎます。

 3話で「貝合わせ」の意味を取り違えたことによって発生する喜劇。

 有能なはずの上司と、有能なはずの部下の間で、言葉の意味の取り違えが起きる状況自体が面白いのですが、「やんごとなき人にとっての『貝合わせ』」と「下賤の者共が知っている方の『貝合わせ』」という言いまわしが面白すぎました。

 現代で言う所の「大人な店」で店主が客の詮索はしないと言っているそばから、堂々とした態度で名前と所属を名乗り、さらには藩命で来たと宣う西郷吉之助と、その隣で面白すぎる顔になっている川路正之進。

 そして終盤に、刀の代わりにモザイクを手にしての大立ち回り。深夜に大声で笑ってしまいました。

 6話は当時の人たちが知る由もないビタミンB1の欠乏である江戸わずらいと、薩摩の食料事情や銘菓のお話でした。

 ビタミンB1欠乏でずっと体が芋を求めている状況だった2人が、ようやく食べられた焼き芋に感涙し、周囲がその涙の意味を勘違いするというシチュエーション事態はよくありそうな印象です。

 しかし、話の最初から「ビタミンB1を摂取したい」を引っ張って引っ張って、妙に表現の細かい実食の場面を経て、あのタイミングでの目元と涙クローズアップ白黒反転表現は面白すぎました。

 7話で登場した「肝練り」についてはもはや言わずもがなですね。

 薩摩と泰三子先生は混ぜたら危険。川路正之進のいろいろな表情が面白い回でした。

 まだ1巻なのに最初から最後まで面白すぎでした。

 

 

 おまけページは制作秘話などエッセイ風の文章が掲載されていました。

 泰三子先生は「ガバガバの商業戦略からできたコーナー」と謙遜していましたが、こちらも面白かったです。

 『ハコヅメ』第一部終了後に何故『だんドーン』が始まったのかという説明もしっくりきましたね。

 感覚的に「『だんドーン』は『ハコヅメ』の第0部の様なモノ」とすんなり納得できました。