祟り神・「屋跨斑」の誕生に、ダラさんと十郎太の別れも描かれる過去編と、ますます混沌としてくる現代編の寒暖差が相変わらず凄いです。
今回は感想が長くなったため、2つに分けてあります。『令和のダラさん』3巻の感想その①です。
三十谷姉弟の母親・千夜。父親・ウィリアム。
第十八怪では三十木谷姉弟の母・千夜さんとダラさんが出会った過去が語られました。
一度目の遭遇、学生だった千夜さんが禁則地に入るきっかけになった友人の彼氏は、第二怪で触れられていた「イキったヤンキー」ですかね。
ダラさんによってパケット代無視の恐怖を体験したという人。携帯電話代金のシステム等から考えられる時期が一致しますし。
そして二度目の遭遇。千夜さんは父の教えを無視して、ダラさんに接近。
怯えながらも、ダラさんの本質を見抜いて話しかけた千夜さん。怪異リテラシー的には問題のある行動ですが、ダラさんはきっと嬉しかったことでしょう。
谷跨斑の首や、祠に祀られている呪腕、そして自分の役目の話もしたということでした。
祭りの夜に不届き者の後始末をした場面で、先代の山の管理者である自分の父よりもだいぶ事情に詳しい様子だった千夜さん。
剝き出しの呪物に冷静に対処する尋常ならざるあの雰囲気は、単純にダラさんと話した経験の有無だけではなく、本人の口からいろいろな事情を聞いていたからであったと。納得がいきました。
いつもと違い、過去パートが終わってもシリアスな雰囲気のまま話が進んだ第十八怪。最後の1コマだけにコミカルが濃縮されているかの様なオチに笑いました。
たった1人で山を守り続けるダラさんを気遣った千夜さんの心づかいの結果が、傍若無人にダラさんを振り回す三十木谷姉弟。ある意味で千夜さんこそが全ての元凶。
千夜さんは、寺前の蚤の市で人間に化けて店を出していたダラさんに、それと気付かず挨拶する場面もありましたが、もしかしたら、本当は気が付いているのではという謎の凄みがありましたね。
器の大きさが読めないと言いますか、自分の子供たちがダラさんにどの様に接しているのかを知った時に、どんなリアクションをするのかが読めそうで読めません。
きっと面白いことになるのだろうなという謎の確信はありますが。
意外だったのは千夜の夫で、三十木谷姉弟の父であるウィリアムさん。彼が禁則地の事情にピンと来ていないということが、おまけページに書かれていたことでしょうか。てっきり知っているものと思っていたのですが。
でも、逆にこちらはこちらでダラさんと遭遇した時のリアクションが面白そうですね。カルチャーショックの予感がします。
ビーム?ビィーム!?ビィィィ――—ムゥッ!!!!
第二十怪は過去パートを除き、丸々全部ビームのお話でした。
ビームに憧れた薫がダラさんに「ビームを撃ちたい」という無茶なお願いをするだけのエピソードで、こんなに面白いお話を描けてしまうともつか先生が凄すぎます。
いえ、話も面白かったのですが、それ以上に漫画としての演出や、クオリティーが凄すぎました。
劇中劇のロボットアニメ・ガンバルゼーのワンシーン、ビームによる爆発のパワーを感じる背景とその中心にいる薫の構図。薫の中でビームへの憧れが爆発した瞬間だったことが伝わってくる漫画的表現力の凄まじい一枚絵でした。
そして、いつも通り、やたらにクオリティーの高い劇中の創作物・ガンバルゼーのテーマ曲を熱唱しながら、家から菓子類やインスタント食品を持ち出し、気合の入った顔とポーズのままダラさんにお願いに行く薫。
やや妙な方向に気合の入った歌詞と普段着でキメ顔の薫。
やたらと量が多いながらも庶民的な供物のラインナップ。
ミスマッチが面白かったです。
そしてダラさんの開発した光線術によって、ついに薫がビームを打った瞬間の場面。
見開きを使った3コマで、ビームの勢い、薫の目に飛び込んでくる光量、光の軌跡。そして憧れのビームを撃った瞬間の薫の表情。子供が遊んでいるだけの場面とは思えない迫力とクオリティー。凄まじいです。
撃った直後の興奮冷めやらぬ薫の反応も良かったですね。気持ちはわかります。
大人でもたまにビームを打ちたくなったりすることがありますからね。撃てるものなら私も撃ちたいです。ビーム。
薫らしいオチと、おまけページで判明したダラさんの細やかな気遣いも面白かったですね。光線術の解説にあった「バカがバカをしないように」の一文で笑いました。
ダラさんのお墓と十文字
クラスメイトである十御田柑奈(とみたかんな)との何気ない会話から、十御田家の管理する土地にある謎の石碑の話を聞いた薫。
この石碑は由来が不明であるものの「とにかく凄く大切にしなさい」と伝わり、今でも毎年一族が集まり夜通し供養するそうです。これには何やら「十」字架のような模様が残っているとのこと。
読者視点だと、この時点で十郎太に関係するものが出てくるのではと期待が高まりますが、実際は期待以上の展開でしたね。
強引な薫に誘われて、石碑を見に行ったダラさんによると、これは恐らく人間であった頃のダラさんのお墓。
そして、その石碑の傍らにはただ「十」と刻まれた小さな墓石がありました。
時を超えて、ダラさんと十郎太が報われたと、そう思いました。そう感じました。
人間の巫女であった頃のダラさん、祟り神・屋跨斑としての暴走期間、霊的に安定したここ百年の現代のダラさん。
屋跨斑としての暴走期間が記憶の空白になっているせいで、ダラさん自身も自分にまつわる話で知らない部分が多いのですよね。
現代のダラさんと三十木谷姉弟のお話と一緒に、毎回過去の物語も進んでいくこの漫画の構成は独特だとは思っていましたが、ここまで涙腺への破壊力がある活かし方がされるとは。
過去編はダラさんを陥れた姉巫女との決着がつき、怪異「屋跨斑」の誕生に、ダラさんと十郎太の別れまで終わりました。
しかし、十郎太の物語はまだまだ続きそうですし、今回の様に、ダラさんが知らないからこその展開もありそうで、今後への期待も高まります。
それはそうと、過去編での十郎太視点での感動的な2人の別れと、現代編で呼び起こされたダラさん視点の赤面物の失敗談の温度差には、しっかり笑わせていただきました。
おまけ漫画:化け猫&バレンタイン
相変わらずおまけページが楽しすぎて面白すぎるこの漫画。光線術やダラダラダラさんの解説が面白く、尿意マンのインパクトも凄かったのですが、今回はいつも以上におまけ漫画が好みの内容でした。
「化け猫」では薫の担任・筆木先生の猫の元気がないという話を聞いたダラさんが一肌ぬぐことに。筆木先生は今のダラさんが着られる巫女服を製造した人物。ダラさん本当に義理堅くて素敵です。
深夜に自分と飼い主の元を訪れた怪異・ダラさんに「払うならば鳴き迎えるならば伏せよ」と問われて迎え入れるを選んだ賢いにゃんこ。そういえば、この猫、1巻のおまけカットでもダラさんと出会っているのですよね。
飼い主の生気を吸うという化け猫の逸話の独自解釈と、現代だとどうなるかという話、そこから化け猫になることを選んだ猫の即断即決とその後の勢いも面白かったですね。
「バレンタイン」は冒頭の薫の謎ダンスが面白かったです。
歌って踊るだけで祟り神として恐れられる大妖怪を戦慄させる小学5年生の図に笑いました。
土地神様に対して人身御供を要求するというもはや妖怪すら超えた何かになってしまった薫。
小学生離れした突き抜けた性格の原因はいろいろと考えられますが、今巻を見ていて母親の千夜さんの影響が強いのかなと思いました。
ロックな趣味の意外性や、剥き出しの呪物を前にした時の胆力もそうですが、どこか底が知れない感じがするのですよね。
そして、蚤の市の場面でのさりげないグフフ笑い。三十木谷家の血筋を感じます。
今回は感想が長くなったためその②へと続きます。