琴子と六花さんのコンビで挑む、「見たのは何か」編が完結。さらに、時間は現代へと戻り、ついに六花さんが動き出します。虚構推理14巻の感想です。
「見たのは何か」解決編
見たのは何かの犯人の行動理由について、あれこれと考えて読んでいたのですが、今回はかすりもしませんでした。
事件の綺麗な完成図と言いますか、理屈としてすっきり納得のいく説明自体を組みあげることができませんでした。
犯人が犯行現場とは違う場所で死体をめった刺しにしてわざと目撃された理由、犯人が目立つ格好で死体損壊を行った理由として、私は犯人が警察に自分と同じ格好の人間を調べさせることが目的なのではないかということを考えていました。
誰かを犯人に仕立てるというのではなく、「警察に調べさせる」こと自体が目的であったのならば、犯人に仕立てることよりも目的達成の難易度は下がりますからね。
調べさせる理由については、警察に知られていない別の事件があっただとか、これから事件を起こそうと計画している人にプレッシャーをかけるためだとか、いろいろと考えていたのですが、わざわざ別の殺人を犯す理由としては弱い気がします。合理的な説明とは言えません。
それも「別の人間を犯人に仕立てようとした」仮説と一緒に琴子と六花さんに否定されてしまいました。
そもそも、犯人が事件を起こした動機については、前の巻の時点で「『綺麗なナイフを買ったから』といったフランスの不条理小説みたいなものだった」と琴子が言っていたのですよね。
あれこれと考えこんでいる内に、すっかり失念していました。これが思考の迷路と言うやつでしょうか。
重原良一の犯行動機…ではなく、琴子の言葉に感じる不自然さ
犯人・重原良一の動機は、事件の数日前に、「何故かほしくなって綺麗なナイフを買って」、それで「何となくそのナイフを持ち歩いていたら」、仕事先で他人を恐喝しているひどいやつに会い、その時ふと「このナイフはこの時のためのものだったんじゃ」と、そう感じたからそのひどい奴を刺したというものでした。
あまり深く考えることなく殺人を犯し、あっさり殺害成功。その後も都合のいい偶然が続き、それを天の意志の様に感じた彼は、自分は警察に捕まるべきか否かも、天の意志に委ねるために、今回の不可解な行動を起こしたということでした。
今回の事件、突飛で異様な犯行動機を事前に読者へ開示する等して、ミステリーとして成立させるための調整はされています。※私はその部分を失念していましたが。
ただ、犯人が殺人を犯した心理を承認欲求の一種として、「平凡なものが特別になった気になれる」と琴子が評したことに不自然さを感じました。
たまたま目の前で起こったことや、確率的に起こりにくい偶然を目にしたときに、そこに神の意志だとか、運命といった何かを感じ取る心理は理解できます。作中でもおみくじや、占い、神頼みの例も語られています。
しかし、現代の日本人がそれで殺人を起こすのは異常そのものです。
いえ、ミステリーですから、ストーリーの中で殺人事件が起きるのも、異常な人間が出てくることも、別におかしなことではありません。
ただ、そこで琴子がわざわざ「平凡な者」という言葉を使ったことに妙な引っ掛かりを感じました。
明らかな異常者をわざわざ「平凡な者」の一例とした点が妙に引っかかります。
どうにも、この事件での犯人の心理、それ自体が今後の物語における重要な伏線か何かに思えてしかたがありません。
これは伏線?未来決定能力の使い方
伏線と言えば、六花さんが犯人に引導を渡した方法も印象に残っています。
託宣を得られず、自分の思い通りの結果にならず、琴子に襲い掛かった犯人を蹴り飛ばす六花さん。
そして、彼女は犯人の落としたナイフで、見せつけるように自らの首を掻き切ります。
噴き出る血、そして巻き戻しの様に元通りに。腰を抜かす犯人にこう言います。
「どれでもいい、硬貨を一枚上に投げなさい。地面に落ちて、表が出れば、警察に自首すること」。「う、裏が出れば?」と返す犯人に、「裏は出ない。必ず表が出る」と断定する六花さん。
件の未来決定能力ですね。知っていれば能力を使うために首を書き切ったとわかりますが、知らなければただ自分が普通の人間でないことを見せつけようとした様にも見えます。
そして、コインを投げれば本当に表が出るわけです。
今回、六花さんは、託宣を求めた犯人に、引導を渡すのに未来決定能力を使いました。
事件の後に琴子と六花さんが言っていた通り、そこら中のものに啓示や思し召しのサインを求め、感じとろうとする人は大勢いるわけです。
ならば、未来決定能力でそういった啓示や、思し召しのサインを作り、さらにその先に起きることも誘導するなどすれば、運命などを信じ込ませて誘導することもできるでしょう。
何よりも、合理的虚構によって「神なんていない、怪異なんか存在しない」と話をまとめようとする琴子の真逆の行為、件の未来決定能力で実現した非合理な真実によって「自分にとって都合の良い天とか神」を信じ込ませることもできるわけです。
鋼人七瀬の事件も、六花さんの望む神を作り出すためのアプローチだったという話でしたが、「自分にとって都合の良い天とか神」という部分以外にも、琴子の真逆の手口という部分に重要な何かがある気がします。
きりんの衝撃
第39話の冒頭。山中で何かから必死に逃げる男たち。
仲間と逸れた1人が必死に名前を呼び、息を切らし斜面を駆け降ります。ふと振り返ると、背後に巨大な影。きりんです。
神獣の麒麟ではありません。動物園とか、サバンナにいるあの首の長いキリンです。しかも見開きで登場します。よく知りはしませんが、アミメキリンでしょうか。
そして、巨大なキリンに追い詰められた男は崖から真っ逆さま。私はこの場面を最初に見た時、劇中劇だと思っていました。てっきり、琴子と九郎がデートで映画館に行き、何か変な映画でも見ているのだろうと思っていました。
崖から落ちていく男が「キリンの祟りは本当だったんだ」と呟いていましたが、これが怪異の登場シーンだなんて思いません。
だって、日本の山中にキリンです。わざわざ見開きでキリンです。いえ、見開きはキリンのリアルなスケール、リアルな迫力を十二分に表現していましたが、その画力の高さが逆にシュールです。見開きで描いているのが、逆にギャグです。
つい最近、高い画力で、シリアスな絵面で描くことで、逆に笑わせに来る手口のギャグマンガを読んでいたせいもあって、ギャグにしか見えませんでした。いえ、ギャグですねこれは。確信犯に違いないです。
琴子と九郎が登場し、キリンの亡霊の話をする段になるまで、劇中劇に違いないと思っていました。劇中劇でないことが分かった時は衝撃を受けました。
琴子が日本の山中にキリンの亡霊が出るに至った事情を説明し、力ずくになったら九郎が頼りだと言っていましたが、これも具体的に想像するとシュールすぎます。
山中でキリンと戦う九郎の図は、助手役と化け物がひたすらに殺し合っていた鋼人七瀬編の解決編なみにすごい絵面になりそうです。方向性が大分違いますが。
しかも、今回の事件、六花さん案件でした。もう突っ込みが追いつきません。止まりません。止められません。
「見たのは何か」で、琴子と六花さんのただならぬ様子が描かれ、次に六花さんと琴子が対峙するのは、クライマックスだろうと思っていた矢先にこれです。これも衝撃的でした。
クライマックスの導入、もしくは、クライマックスの前哨戦の導入がこれとは。
警察署の取調室で推定カツ丼を前にして、すまし顔で座っている六花さんにも笑いました。
琴子と六花さんが一緒に事件を解決した「見たのは何か」のエピソードは、これから来るクライマックスを描く上で重要なものなのでしょう。
ただ、それが必要であるならば何をしでかすかわからない琴子と、普段から何を考えているのかわからない六花さんの取り合わせは、何もかもが意味深長に感じられて、何もかもが伏線に思えてきます。
今回の最後の話は次なる事件の導入部分ですが、非常に面白かったです。しかも、そのサブタイトルは「岩永琴子の逆襲と敗北」。次回が楽しみすぎます。