コミックコーナーのモニュメント

「感想【ネタバレを含みます】」カテゴリーの記事はネタバレありの感想です。 「漫画紹介」カテゴリーの記事は、ネタバレなし、もしくはネタバレを最小限にした漫画を紹介する形のレビューとなっています。

虚構推理16巻 感想


虚構推理(16) (月刊少年マガジンR)

 

 臨死体験をしたためか、霊や怪異が見えるようになった丘町冬司。琴子はそのことさえも巧妙に利用し、事件の解決を「合理的な虚構」へ導こうとします。

 「岩永琴子の逆襲と敗北」クライマックスの虚構推理16巻の感想です。

 

キリンVS琴子

 ミステリーの方もクライマックスですが、人間を襲うキリンの亡霊もそのままにしておくわけにはいきません。

 そういうわけで、キリンの亡霊と対決します。琴子が。

 てっきり九郎が戦うものだとばかり思っていたので意外でした。

 琴子は現地の妖のサポートと、九郎の未来決定能力のバックアップもあってキリンに勝利するわけですが、なぜ琴子が直接闘わなければいけなかったのかの理由や、片足が義足の琴子がキリンから逃げきれたことへの説明は、相変わらずすっきりと納得できるものでした。

 ミステリージャンルだけでなく、物語を構成する上で便利すぎますね。件の未来決定能力は。

 山の木々の間をかけるキリンの巨体は、景色とのミスマッチ感もあってちょっとした怪獣に見えましたね。

 琴子の疾走感、キリンの異質なサイズ感、夜の山の空気を感じられる背景、クライマックスの場面の構図等、漫画担当の片瀬先生の画力とセンスが際立っていました。

 

事件の真相

 丘町冬司が何を考えていたのか、どのような構図に導こうとしているのかは15巻を読んでいた時から色々と考えていましたし、「さあ、これから解決編だ」と言わんばかりの47話のラストシーンまで読んだ時点で手を止め考えてもみました。

 結局のところ、私の推理はかすりもしませんでした。

 と同時に、今回のミステリーには正直納得のいかないものがありました。

 事件の全貌を導くための要点は①「なぜ無関係の六花さんが殺されねばならなかったのか」と被害者の1人である長塚彰の犯行を自白する手記が②「なぜ瓶に入っていたのか」の2点。

 ②の真相については、長塚本人が用意したものであったこと、彼も丘町冬司と同じように殺人をするつもりだったこと、遺書が発見されるか否かを「天に委ねる」ためにあえて不確かな川に流すという方法を取ろうとしていたということで納得がいきました。

 14巻の「見たのは何か」の犯人が、自分が裁かれるか否かを「天に委ねる」ために、あえて不合理な行動をとっていたことは妙に暗示的で印象に残っていました。

 もっとも、琴子と六花さんの対決のクライマックスで使われる要素なのではないかと、私が勝手に妄想していたため、今回は意識の外でした。

 実際は、「見たのは何か」と「岩永琴子の逆襲と敗北」が小説版の『虚構推理 逆襲と敗北の日』に同時収録されているエピソードであったために、今回の事件の伏線が「見たのは何か」の方でも張られていただけだった様ですが。

 ただ、①「なぜ無関係の六花さんが殺されねばならなかったのか」の説明に納得がいかなかったのですよね。

 いえ、より正確に言うのなら、その直前の「丘町冬司にも彼なりの正義があった。それに則って行動しただけですよ」というセリフに不満があります。

                                                                                                           

六花さんが殺された理由

 丘町冬司が六花さんを殺した動機の説明に納得ができませんでした。

 要するに、長塚彰が見栄でついた「自分と柊が付き合っていた」という嘘を信じた六花さんに警察で証言されると、自分がどれだけ大和田柊への思いをつづった遺書を残しても、「横恋慕扱いされかねないから」というものです。

 故人への想いを理由に他3人を殺そうとしたばかりか、自分の死後に自分と大和田柊の関係がどう思われるのかを気にして、無関係の六花さんを殺害したと。強いて言うなら大和田柊の名誉の問題もあるかもしれませんが。

 この動機、もの凄く引っかかりを覚えたのですよね。

 いえ、ミステリーとして、普通ではない動機が持ち出されること自体は別に構わないのです。

 ただ、説明を始める前に、琴子はこんなに身勝手な犯行動機に「丘町冬司にも彼なりの正義があった。それに則って行動しただけですよ」と言っていました。

 六花さんも事件当夜に、彼に「あなたが悪人であれば、そこらに捨てるつもりではあったけど、どうやらそうでもない事情がありそう」と彼が悪人ではなさそうだと評していたのですよね。

 私は丘町冬司が悪人ではない、少なくとも悪人とは言い切れないぐらいの人物として考えていました。

 だからこそ、3人を殺害しようとするに至った動機に対しても、説明されていた以上にドロドロした何かがあったのではないかとあれこれと考えていたわけですが。

 

www.iiisibumi.com

※この辺りについての妄想は「丘町冬司の犯行動機に関する疑問」の項に書いてあります。

 

 登場人物の言っていることが全て正しいとも限りませんが、ミスリードの仕方がアンフェアといいますか、正直なところ、かなりもやもやしました。

 作中では今回の事件との比較として、古典ミステリーの『そして誰もいなくなった』を例に出していましたが、私としては、芥川龍之介先生の『藪の中』を始めて読んだ時の様な不可解さと理不尽さを感じました。※『藪の中』はミステリーではありませんが。

 

事件の真相についての妄想

 琴子が嘘つきである事を加味すると、今回のこの「真相」はあくまでも六花さんに聞かせるための合理的な虚構であったのではないかとも思いました。

 しかし、あとがきによると、このエピソードはエピローグに当たる部分を残すのみ。まだ語られていない真相があったとしても、あまり長い説明をするようなページ数はないでしょう。

 そもそも、無関係の六花さんを殺害している理由については、他に合理的な解釈が思いつかないのですよね。

 なので、私が無理やり納得するために、別の部分で当てはまる解釈をしてみることにしました。

 今回のミステリーの題材として使われていた「天の啓示」による心変わりです。

 「天の啓示」を得る前と後で行動の趣旨に変化があったとしたら、「正義」という言葉に対する違和感や、「悪人ではなさそう」との人物評についてのもやもやも払拭されるのではないかと。

 丘町冬司が、自分が3人を殺したと嘘の自白をして、その直後に自殺をした理由には、長塚彰の遺書を自分の偽造であるとしてその内容を否定する目的もあったでしょうし、警察からのさらなる追求をかわして事件を自分の望む構図のまま終わらせる目的もあったでしょう。

 そこにもう1つ追加します。

 それは「六花さんを守るため」です。

 自分を犯人として事件を早急に収束させて、追及の矛先が六花さんへ向かうのをかわす目的があったとしたらどうでしょう。

 キリンの亡霊に襲われ、助けに入った六花さんを柊と見間違えた時が彼にとっての「天の啓示」だったのではないでしょうか。

 刑事さんはこの時の状況を「キリンの祟りからも、大和田柊からも許された」と感じたのではないかと言っていましたが、何を思ったのかは当人にしかわかりません。

 それこそ「かつて助けられなかった柊の代わりに、彼女に重なる六花さんを助けろ」という啓示と受け取ったとも考えられます。柊からそう言われたと感じた可能性もありますね。

 「柊さんを想っていれば少々雰囲気が似ている女に惑ったりしません」とは琴子の談で、六花さんも納得していましたが、結局のところはどちらとも解釈できるものです。

 あるいは、柊と重ねていない六花さんを柊と見間違えたからこそ、天の啓示と感じたという解釈もありかもしれません。

 人ならざる身である六花さんが平穏に暮らしたいことも、警察に関わりたくないことも彼は聞いていました。

 彼が罪をかぶり、自殺した理由の一片に六花さんを守る目的があったのなら、琴子の「正義」という言葉や、六花さんの人物評にも何とか納得できるかもしれません。

 

怖くないことが怖く、絶望しないことに絶望する。

 琴子は、六花さんの狙いが自分に失敗させることだと読んでいましたが、六花さんの目的は「琴子に正しく事件を解決させる」ことでした。その正しさの果てにあるものを見せつけることだったのです。

 六花さんは琴子に問います。「自分が将来、九郎を殺すに違いないことが」怖くないのかと。

 琴子は知恵の神として事件を「正しい結果」に導き、六花さんが命を助けた丘町冬司を自殺へと導きました。

 琴子の呈示した合理的な虚構がなければ、彼は事件を自分の望む構図にすることができませんでしたし、琴子は彼の自殺も黙認しているのです。

 琴子は知恵の神として揺らがず、秩序の維持のために必ず正しい道を選びます。それこそ、件の未来決定能力でさえも、琴子がどのような選択をするのかの結果に介入できない程に揺らぎません。

 そんな琴子は、いずれ九郎さえも、秩序に反する存在として排除するだろうと、六花さんは断言します。

 最初は六花さんの言葉を否定していた琴子ですが、問答が続くうちに自覚します。

 六花さんの言葉を否定できない自分に。知恵の神としての「正しさ」のために九郎を失うことを怖いと思えない自分に恐怖します。

 この場面、知恵の神としての琴子の揺らがなさも、六花さんの追求に最後の最後で自身の人間としての異常性に気付いた人間の部分の悲鳴も、絶妙な塩梅でしたね。漫画ならではの内面表現の仕方も素敵でした。

 1人ぼっちでの知恵の神としての活動。九郎との出会い。その後の2人での活動。

 2人でいる景色と、1人でいる景色が連なり、九郎がいなくても平気だと言った次のページで、九郎との思い出が溢れます。かと思えば、つないだ手は離れ、1人で穴を見下ろす場面に。

 その場面は15巻でしたもしもの未来の想像。箱の中に封印され、工事現場に埋められる六花さんのイメージ。

 その時と重なるイメージが浮かびますが、六花さんは愛おし気に箱に寄り添っています。

 では、箱の中にいるのは誰なのかと、琴子が気付いた瞬間の絶望の表情。

 絵面は穏やかなものでありながら、過去の記憶と、もしもの話と、未来の想像が入り混じり、揺るがない知恵の神の琴子と、人間の少女の琴子が目まぐるしく入れ替わります。

 琴子の葛藤と、最後の最後で自分の未来に、自分がそうするだろうことに決定的に気付いてしまった琴子の絶望が伝わってくる素敵な漫画表現でした。

 

琴子、六花さんに屈する。

 今回の「岩永琴子の逆襲と敗北」編、喝さいを挙げたいほどの見事な敗北でした。

 感情がグチャグチャになって、葛藤の果てに六花さんに屈した琴子の「わかりました。あなたに味方します」のコマの顔が良かったですね。

 矜持やら、信念やら、愛やら何やらが限界まで煮詰まってオーバーヒートして、何とか「間違いではない」答えにたどり着きました。シリアスパートでも、コメディーパートでも今までしてなかった感じの表情です。

 こうして、九郎と六花さんを普通の人間もどす為に、琴子は六花さんに協力することになりました。

 てっきり今回の事件は六花さんとの最終決戦の前哨戦だとばかり思っていたので、この和解には驚きました。

 

 

 六花さんは琴子の敵を自称していましたが、人間としての琴子を救ったのではないでしょうか。彼女に人間性が残っていたことも今回の件で実証されたわけなので。

 巻末のおまけ年表を見た所、次は雪女再登場の予感。楽しみです。